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ミュージカル新「リキノスケ走る!」は終演

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ミュージカル新「リキノスケ走る!」は終演いたしました

公開日:
ミュージカル新「リキノスケ走る!」は終演いたしました

 ミュージカル新「リキノスケ走る!」

 ー農聖・石川理紀之助ものがたりー

「 世にまだ、生まれぬ人の耳にまで 響き届けよ、掛け板の音 」

 先人の歴史に光を当て、次世代を担う子供たちに郷土への誇りと愛情を醸成させ、また中心市街地のにぎわい創出となるミュージカルをエリアなかいち交流館で125回のロングラン公演。

 

 ~ 本ミュージカルは、平成29年2月26日に終演いたしました。

     多くの客様にご来場いただき、ありがとうございました。 ~

  

公演日程

 平成28年11月6日(日)~平成29年2月26日(日) ―終演いたしましたー

会場

 秋田市にぎわい交流館AU多目的ホール

 主催:ミュージカル新「リキノスケ走る!」公演実行委員会

秋田県、秋田市、秋田県教育委員会、秋田市教育委員会、秋田魁新報社、秋田県農業協同組合中央会、秋田商工会議所

制作:わらび座

 

■石川理紀之助とは

 明治の老農、農村指導者。1845年(弘化2年)に出羽国秋田郡小泉村(現在の秋田市金足小泉)に豪農奈良家の三男として生まれ、のち隣村山田村(現在の潟上市昭和豊川山田)石川長十郎の養子となる。1872年(明治5)秋田県勧業課に任用され在職10年、この間農事の改良をはかるとともに、勧農義会、種苗交換会などを組織し永続させている。1882年山田村救済のため帰村し、更生計画を実践して立直しに成功、広く世に知られることとなった。1915年(大正4年)9月8日に没。

 

■あらすじ

 小泉村(現秋田市)で生まれた理紀之助は学問のために19歳で家を飛び出し江戸を目指したが、挫折。桑崎村(現湯沢市)の庄屋高橋正作に助けられ、幾度も飢饉を乗り越えてきた実践に感動し秋田で生きる事を決意する。県庁の役人となり、種苗交換会を始めるなど農業経営のために奔走し次々と成果をあげる。しかし39歳の時、東北一帯が冷害に見舞われると、「農民を救えるのは農民自身」と県庁を辞め、山田村(現潟上市)の復興を成し遂げるが、同時に「理紀之助のやり方は極貧者には当てはまらない」と批判の声があがる。「誰よりも貧しい暮らしをして、それでもお金が稼げる事を実証する!」と、草木谷で命を刻むような暮しを始める。

 1902年(58歳)には森川源三郎らと九州宮崎まで農業指導に出かけ、68歳になってもなお、九升田救済事業に情熱を燃やすまで、「農聖」と呼ばれた石川理紀之助の七転八倒の生涯と、誰も知らなかった心の軌跡を描きます。

 

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お問い合わせ・ご連絡先

秋田商工会議所 経営支援部 まちづくり推進課

TEL:018-866-6676 FAX:018-862-2101

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